山田恭路 (Kyoji Yamada) プロフィール
BMO株式会社 代表取締役
大手百貨店にて7年間、仕入・イベント・販売を行う。同時にワインスクール講師という二足の草鞋の後、退職。1年間の無職時代に、妻の収入を食いつぶしながら、全国のワイン酒販売の有名企業のトップを訪ね歩き感動を受ける。世界のワイン産地と、小売流通業を徹底的に研究。
『どんなに素晴らしいワインでも、売れなければ、デッドストックの山だ!』を信念に、
@本当に感動させるワインの開発。
A酒販店でも、スーパーでも、デパートでも、通販でも、思いっきり売れる方法を開発。
1996年。マネージャーになるために(虎の子の)会社を辞めた妻・聖子とともに、販売コンサルタント事務所を開設。(といっても、アパートの一間の隅に、机とFAXを置いただけ)。初年度のクライアントはたった3社。しかし、この3社の売上が劇的に伸び、また、「ワインマーケティングコンサルタント」という珍妙な名称が、逆に面白がられ、日経流通新聞はじめ多くのメディアの取材を受ける。
「どんな店でもワインを売れるようにする」が、12年間変わらないポリシー。山田の指導を受け、ワインの売上を飛躍的に伸ばした店は、数多い。今、東京で有名なワインショップは、何らかの形で山田の影響を受けた店が多いといえる。そのために開発された販売方法は、膨大なものがある。
絶対的に支持されている手書きPOPの走りとなった『販売者ボード(c)』は、山田恭路がクライアントとともに編み出したオリジナルな技法。『お客様接点法(c)』によって、ヌーボーはじめ予約モノを、圧倒的に伸ばした店は数知れず。『比べる単品訴求』『アクセントボード』『販売チャレンジゲーム』『小学生でもできるキャッチコピーSTEP3』『こだわり品が売れる7つの売場』『5つのPOP』『ベースレター』『関連販売から⇒提案販売へ』数え切れないほどの販売方法を送り出してきた。
『点から線への発想法』で、顧客リピート率をケタ違いに伸ばした店も数多い。山田の口癖である『マキコミスト』は、人材難の時代を見越した実践発想として、広く会員企業に広まっている。
ワインが売れるということは、なんでも売れる実力が付いた証拠。今日では、『マインズアップ販売法』は、ワイン以外の商品全体、いや、人材募集方法にまでも活用されている。
山田のワインセミナーは、泣いている子供でも笑う!?といわれるほどの芸風と評判。最近は、山田の愛好家向けワインセミナーは無いに等しく、かつて、セミナー術を教えられた人の間で、伝承されている。
BMOのイベントは、『共生する感動』の一言。イベントを体験すると、いつしか自らの心に火をつけ、明日へのエネルギーをもらえる!と評判になっている。
毎日、北海道から九州の指導先から海外ワイン産地まで、移動に次ぐ移動。いつしか羽田と成田に精通してしまった『フライイング・コンサルタント』である。
海外ワイン産地を年4回訪問。最先端の生産者と交流し、日本に紹介し続ける。自然派ワインから、濃厚な正統派ワインまで、守備範囲は広い。
10年の現場指導から、ワイン・リカー・フードの利益品が本当に売れる方法〔マインズアップ販売法cBMO〕を開発。ワイン・酒類の販売について専門誌執筆多数。各種業界団体、大手流通業、卸売業の指導、講演。
フランス食品振興会「コンセイエ」認定審査員。 海外タイトルに、「ジャンティオム・フロンサック会員」 「シュヴァリエ・ド・コルビエール会員」。
---------------------------------------------------------------------------------------------------
山田恭路が想ってきたこと
☆★☆★ Contents ☆★☆★
指導店のバックヤードを歩くと、つい思い出してしまうこと・・・。
---------------------------------------------------------------------------------------------------
■ ヌーボーといえば、思い出すことがあります。 ■
今から、20年近くのこと。私は百貨店のまだ新人時代。酒食品が担当です。ある暑い日、今年のヌーボー発注数を上司と相談していました。ボージョレー・ヌーボーは80年代後半から盛り上がりを見せ始め、前の年もマスコミが大騒ぎ。開店と同時にお客様が売場に殺到したのでした。「ヌ、ヌーボーはこれですかあ!?」とシャブリを持って血相変える奥さん。「ボンジョレってなんだべ?」と割きイカを噛みながら聞いてくるお爺さんに囲まれて、田舎デパートもヌーボー大騒ぎなのでした。
そんな前年とは真逆がこの年。天皇陛下のご病気や、経済状況激変で、世の中は真っ暗な雰囲気。ヌーボーの売れ行きも、「昨年と変わって一気に沈むだろう」という大方の予想。私は上司に、「カカリチョー、今年はダメですよ。去年の半分でいきましょう。」と必死で説得。当時、ボージョレー・ヌーボーの価格は今より高く、並でも1本3,000円クラス。前年売上が60ケースだったので、今年は40ケース以下を上司に提案したのでした。
「あにいってんだ!山田!前比はどうすんだ!?今年も前年超えで発注しろ!!」と、上司。
「でもカカリチョー!絶対余りますよお。たくさん残ったらどうすんですか?」と、私。
「そんときゃ、オレが責任とる!」
「ホントですかぁ?」
「大丈夫だ!だから強気で行け!」
結局発注数は、前年を超え75ケース。(いいのかなあ、、、残りそうだなあ、、)と不安を胸に秋を迎えました。
当時は予約といっても、「予約チラシ」1枚店頭に貼るだけ。しかも、ネタなんてまるでなし。まあ、デパートで売ったヌーボーなんて、“先天ネタ”が無いインポーターおつきあい商品でしたが。
ドキドキしながら、11月第3木曜日。解禁前の予約数は、“大”が10個つくほど悲惨。数本のみ。(あとは、解禁日頼みだなあ、、、)と、開店時間の10時を迎えました。(去年は売場にお客さんが殺到したんだが、、、)
10時5分、10分、、。お客さんが来ません。15分、30分、、。全く来ません!今思えば、その時勝負あったのです。解禁日1日で売れた数は、たった3ケース!!以降日々売上は落ちていきました。
12月に入って在庫を数えると、、。何ケース残ったと思います?60ケースですよ!!75ケース中で。その日からというもの、毎日、倉庫のヌーボータワーを見上げては、ため息をつく日々が始まったのです。
大手百貨店は、思い出したように本社から役員が巡回します。12月初旬、ある常務がやってきました。店の幹部は緊張しまくり。常務が食品フロアに入りました。社員は直立不動で迎えます。生鮮売場を過ぎ、酒コーナーにやってきました。(やばいっ!ヌーボーのこと聞かれたらどうしよう?)ドキドキしながら、売場で待つ私に、常務が第一声。
「おいっ山田っ!(やたら声がでかい)ヌーボーはどうした!?もう在庫は無いだろうな?」
「(あるに決まってるじゃん、、とはいえず)あ、あの、、まだ多少は、、」
「何ケースだ?」
「ろ、60ケースほど、、、。(正直な私)」
「発注はどうやったんだ!」
「・・・・」
「発注は、前年6掛けが当たり前だろう!!」
「(知ってたんなら、最初から言って欲しいよ!、、とはいえず) は、はいっ!!」
「いいかっ!明日中に全部メーカーに返品しろっ!」
「(えーっ!?できるわけないじゃん、、とはいえず) は、はいっ!!」
大が100個つくほど悲惨な気持ちになりながら、ふと、(そーいえば、「オレが責任とる!」といった上司はどうしたんだろう?)と探すと、、。食品課事務所の奥で、そ知らぬ顔して知らんぷり!
残った60ケースの責任は、私にズッシリのしかかりました。その日からです。私は、「ヌーボー二宮金次郎」となって、毎日毎日売り歩いたのでした。配送センターに行き、ゴザ敷いてパートのお母さん達に「ヌーボー買ってくださいっ。」 学生時代の友人が総務部にいると聞くと「知ってるか?今年は、忘年会でヌーボー飲むのが大流行なんだぞっ!」。1本売れて大喜びしたかと思えば、何人当たっても売れず、落ち込みまくり、、。もういやだぁと思いつつ、その年も暮れ、、。
翌年です。必死に電話していただけの私に、だんだん知恵がついてきました。「熟したヌーボーが鍋にピッタリ合うの知ってますか?」と言うと、意外に買ってくれた。チラシに自分が飲んだ感想を手書きで入れたら、意外に反応が増えた。ポスターを貼る位置を変えただけで、注文が来た。お店の朝礼で熱く語ると、意外に他のフロア社員も買ってくれた。そうして、1年以上かかるのでは?といわれた在庫が、1月には無くなったのです。
そうなんです。必死にもがいているうちに、私は、売る方法を体で覚え、自然に工夫するようになっていた。もがいているうちに、私はいくつかの原則に気がついた。
(あれだけヌーボー、ヌーボーと予約販促したのに、同じ店で知らなかった人がいた!)
(買ってくれた人は、買う以前に、1回は私が貼ったポスターを見ていてくれた!)
(要は、買う人にどれだけネタを接触させたか?なのだ)
こうして、『お客様接点法』の原型が、出来ていったのです。
数年後の3月。私はこの百貨店の本店に移動になりました。ここは、ワインを大量に売るので有名。1ヶ月いくら売ると思います?なんと当時で4,000万円!ワインだけでですよ。さて、責任者として赴任した私を、スタッフが地下倉庫に連れていきました。
「山田さん、これ見て下さい。」といって彼が指した向こうには、驚く無かれ、以前の5倍はあろうか、というヌーボータワーが、、。しかも時は3月。
しかし、私は至って平気。赴任したばかりの新人上司を驚かそうと思ったスタッフを尻目に、『お客様接点法』に磨きをかけていた私は、難なく不良在庫をさばいたのです。
この年の秋。ヌーボー発注は余った前年を大幅にオーバー。1,000ケースを軽く超える発注です。しかし、余裕。大丈夫ですか?と心配するスタッフに、『お客様接点法』の原型を教えつつ、売上アップ街道を驀進。
やはり、デパートの弱みでネタが少ないNBヌーボーでしたが、売る方法はいくらでも出てきます。数年前、泣きながら不良在庫ヌーボーを売っていたのに、この変わりようは、自分でも恥ずかしいくらい。やはり肝心な原則は2つ。あなたも、知れば絶対できる。(知らねばできないんだなあ) どんどん予約がとれるのです。「ヌーボーなんて売れないよお。」「予約はやだなあ。」といっている多くの人に、正しく実践すれば、バンバン予約がとれてしまう方法を伝道したい。心底から思うのです。だって、大手に勝たねばならないのですから。
【原則@】『マインズアップ販売法』の『お客様接点法』は、さらに磨きがかかっています。知らねば予約は地獄のノルマ。知れば売れて気が充実。
【原則A】先天ネタが超豊富な本物のヌーボー。ここまでくれば、本物をやりましょう。小売に生きる私達の宿命です。
---------------------------------------------------------------------------------------------------
■ 金づちで頭をガーンとやられたワイン ■
今から、15年以上前です。アカデミー・デュ・ヴァンというワインスクールで講師デヴューした私は、ワイン産地訪問といえば、おフランスはボルドーの有名シャトーが決まりでした。講師仲間とメドックのグランクリュ街道をレンタカーで回っては、「おー、マルゴーだあ!」「ら、ラトゥールの塔は、意外に丸いねえ〜!」「ラスカーズの門は、ここになるのかあ!」と嬌声の日々。当時最も愛したワインは、シャトー・ピション・ラランド。訪問する度にときめきのルツボ。毎年のヴィンテージを、マグナム(1,5リットル)や、ダブルマグナム(3リットル)のボトルに詰めてもらい、日本でコレクションする有様。当時、給料の80%は、ワイン、ワイン、ワインでした。(今でも、こづかいのほとんどはワインと本ですが、、)
しかし、ボルドーバラ色の日々にも飽きがきました。「ボルドーより、濃いワインがあるぞー」と仲間がいうままに、カリフォルニア、オーストラリアと新しいワインを目指す旅に。それさえ、飽きてしまい、、。なにかワイン自体に物足りなさを感じてしまう。どこのワイナリーにいっても、同じに思えてしまう。「あっ、ここで、タンクの自動温度管理システムの話をするな?」と思えば、その通り。精妙なクローンの話を聞いても、どこか冷めている私。そろそろワインもつまらないな、、、と思い始めたころでした。
私は、フランスに住むある人物と出会うことになります。今から、14年前。私より一回り年上の彼は、若き日からボルドーに住み、無名でも素晴らしいパッションを持つワインを徹底的に探していたのでした。
その人物と二人で回った南仏ラングドック地方での出来事を、私は忘れることができません。
ある蔵元でのこと。お世辞にも、きれいとはいえない醸造所で、ニコニコしながら女性オーナーがグラスに注いだワイン。一口含んだ途端、体中を電気が走り抜けたのです。
「うおーっ!な、なんだこの味は!??」
「これがカベルネ?完璧に熟しているじゃないか?」
「なぜ、こんな田舎で、こんな完成度を持ったワインができるのだ?ボルドーじゃ、10,000円のグランクリュでも、もっとタンニンが粗いぞ。」
「それが、この価格??日本では1,500円で売れるじゃないか?なぜ、こんなに安いんだ?」
「だいだいこのオーナーの格好ときたら、アルマーニも着ていない。Tシャツ一枚で、、、」
金づちで頭をガーンとやられたとは、まさにこのこと。「自分はワインのことなんて、これっぽっちも分かっていなかったんだ!」
この日を境に、また私のワイン蔵元行脚が始まりました。ワイン学校の講師時代には全く分かっていなかった。@ワインの価格が、畑の土地代に比例すること、A良いワインは、必ずしも最新の醸造設備を持たなくてもできること、Bなにより、造り手の情熱が最も大事なこと こういったことをどんどん学んでいったのです。
それから今日に至るまで、毎日が驚きであり、ワインの奇跡との出会いの連続でした。情熱溢れる美味しいワインの蔵元に、毎年4回は出かけました。勉強したようなワイン造りをしている蔵は、ほとんどない。特に、酵母を添加せずとも、酸化防止剤を添加せずとも、素晴らしいワインを造り上げる「自然派ワイン」には、体中がしびれる位の感動を受けました。
私には一つのモヤモヤがあったのです。「なぜ、こんなに感動を与えるワインが、日本では買えないんだろう??」という想い。確かに、自分の企業だけこういったワインを輸入しようとする店はある。しかし、「広く日本人が美味しいワインを飲んで、感動し、楽しみ、生活が楽しくなる。」には程遠い。それには、『大きなしくみ』が必要です。ワインの売り手として十分な知名度がある店は良い。しかし、今は実力なくても、鍛えればバンバン売れる店は、星の数ほど隠れているはず。そんな店を日本中から探し、育て、感動ワインがお客様の口に届く、大きなしくみを作りたい。
これは、かの人物と10年以上前に南仏の町モンペリエで誓った話。今や、着々と実現しつつあるのです。
---------------------------------------------------------------------------------------------------
■ 指導店のバックヤードを歩くと、つい思い出してしまうこと、、。■
20年近く前、百貨店時代の12月。私は初めてお歳暮配送センター長に就き、大悪戦苦闘していました。入社2年目のセンター長は、大抜擢、、、、と思いきや、前任者が狂ってしまって、やむを得ず私にお鉢が押し付けられただけ。小さな店舗とはいえ百貨店。歳暮1シーズンの配送個数は、何と15万件!これを、サブの男性1人と、学生アルバイト10人、パートのお母さん10人で回すのです。
150,000件の配送指揮を一人でとるのって想像つきますか?天井まで詰まれたトワイニング紅茶セットが、翌日にはスッカラカンになるのです。人気ギフトになると1ヶ月で3,000個もザラ。当時コンピュータシステムもなく、アイテムも1,000種類を超える細かさ。毎日どんなに発注を追いかけても、未処理の配送伝票タワーがグングン高くなります。そして未着、遅配、破損、のし違いといったクレームの嵐、嵐、嵐。
私にセンター長の仕事が出来たかって??出来るわけありません。普通は、30歳台のベテラン社員の仕事です。不安で不安で、小さな胸と大きな頭をいっぱいにして、トラックに乗りセンターに行ったのでした。運転手の一言が突き刺さります。「山ちゃんも、不幸だねえ。あそこは悲惨だよ、、、」。
さて、狂った前任者は?パートさんの指差す向こうには、訳のわからない行動をしている姿が見えました。今は歳暮のピーク真っ只中!15万件のプレッシャーに負けておかしくなってしまったのです。無視して事務所に入り、見回すと、妙なダンボール箱が何個も棚の上に。「おかしいな?」と思い、サブの男性と開けてみると!!!!!!!なんと、未処理の配送伝票がドッサリ出てくるではありませんか!その数、10,000枚はあったでしょうか。狂った前任者が途方に暮れて次から次へと隠蔽していたのです。
その日から私の地獄のような日々が始まりました。センターの仕事そのものを知らない私。教えてくれるべき人は狂っている。全て手探り。発注量の目安が皆目分からず、あっという間にストックが切れる。入荷は大幅に遅れる。暖房なく超寒い。バイトは反乱。パートは手を抜く。合間に怒涛のクレーム嵐。両手に受話器を持って、さらに電話が鳴り続けるなんてドラマの中だけかと思っていた。朝7時に家を出て車で1時間半。センターを出るのは深夜2時。食事は、走りながら菓子パン1個。ついには、電話が鳴るだけで恐怖の底に。これが11月中旬から12月末まで1日の休みもなく続き、もうフラフラ状態。
あまりの惨状に百貨店本体の上司にSOSの電話をすると、、。「何とかしろ!それがお前の仕事だろ!(ガシャン!)」、「ところで、○○○がまだ配送着いてないってクレームだ。何やってんだ!!」
「オレはこの世で一番悲惨な仕事をしているんだ、、」と真剣につぶやいていました、、、。
さて、窮すれば通ずとは、よく言ったもので、、、なんてのは現実にはありませんでした。窮すればさらに窮す。クレームは延々と続いたのです。嵐の海を泳ぎながら、ボロボロになって12月も27日。さすがにここまでくれば、お歳暮も一段落。少し気を抜いたのでしょう。わずかに安心したところに、さらに悪魔が忍び寄っていることを、その時、私は気づきませんでした。
その日も疲れきった深夜の帰り道、シートベルトをしていなかった私の左前方から、突然ルール無視の車が飛び出てきたのです。避ける間もなく大音響でぶつかる交通事故。野次馬が続々集まる中、「いやぁ、凄い血だよ。生きてるんかい。」という声が、記憶の遠くに聞こえました。
救急車で運ばれる大怪我。傷心傷体の私を待っていた総務部長の口から出た言葉を、今も忘れません。
「おまえ何やってるんだ!本社に知られたらどうするんだ!」
---------------------------------------------------------------------------------------------------
■ だから、今がある!■
私の百貨店時代は、こんなことの連続でした。“販売”でも同じです。在庫の莫大なヤマに囲まれて、何度途方に暮れたことか。その時に生まれた気づきは、、。
「仕事は“やる”しかない。」「しかし、“やり方”を知らなきゃ、“やれる”わけない。」「“やり方”を知らないのは、本当に悲惨だ!」。
バイトさん、パートさんがどんどん働いてくれるコツは、“心理・感情”を引き出し、スタッフ皆を同じ目標にマキコムことだと分かったのも、この仕事の時です。しくみの重要さが身にしみたのもこの時です。
販売の現場に戻っても同じでした。途方に暮れた莫大な在庫のヤマを切り崩す中で、一つ一つ気づいたのです。
「商売は“売る”しかない。」「しかし、“売り方”を知らなきゃ、“売れる”わけない。」「“売り方”を知らないのは、本当に悲惨だ!」。
まさに“販売”も同じだと分かっていきました。そして、やらせてくれたのは、“周り”です。
当時は自分の周りで起きることが、イヤでイヤで仕方なかった。イヤイヤながら周りから降ってきたことを、真剣にやるしかなかった。結局、周りのイヤなことが、教えてくれていたのです。
イヤな中でも唯一の嬉しいこと。それはお客様が喜んでくれることでした。今では、多くの“嬉しい”を、造り手、売り手、買い手、商品、お店からたくさんもらえるようになって、本当に感謝しています。
人は、周りから気づきをもらいます。周りの人、周りの事、周りの物。自分の周りと真剣に深く付き合えば付き合うほど、大きな学びがあるのだと、後で分かりました。
嬉しいことに、BMOとともに進む仲間たちは、“売り方”を日々進歩させています。
嬉しいことに、共に進む仲間、共に進む蔵元、共に喜べるお客様から、大きな元気、喜び、気づき、刺激をもらいあって、私達は進んでいます。こんな素晴らしい“周り”からの影響で私達はお互い進化していけます。なんて、大切な、貴重な、嬉しい関係なのでしょう。
今の世の変化は、とても早いといわれます。以前の10年の変化が、今は数年、いや1年で起きてしまいます。この1年を思い返せば、私達も、今年の1月と今の12月では、すでに考え方自体、大きく変化していることに気づくでしょう。
BMOの仲間は、ある1人の実践が、こだまのように周りのメンバーの間を次々響き渡り、驚くほど速く、凄い実践技術に高まります。その速さは、世間の小売業が進む速度をはるかに超えています。なぜなら、影響し合う周りの強烈なエネルギーは推進力が凄く強いからです。高速の中で、私達の技術、考えもどんどん変わっていきますが、それも、この大切な周りの人間関係に支えられてこそ、変化できるのだと思っています。
売り方。これは、販売方法からマキコミ方法まで、大きな理論に基づいた実践のみが成長させてくれます。これを伝道するのが、BMOの使命だと心から思っています。
|
|||
| copyright 2008 All Rights Reserved by BMO Co,Ltd,. | |||